私の心に響いた一言
無理じゃない程度に、無理して来いよ
44歳 女性 《その他から 患者さんご本人へ》
背景 抗癌剤治療をしながら働き続ける私に、上司が言った言葉。凄く矛盾してて日本語になってないけれど、体調を気遣ってくれる気持ちと、働き続けようとする私の気持ちを汲んで応援してくれる気持ちとが、そこにあってこんな台詞になったのかと有難く思いました。
今日が悲しくても明日起きて自分におはようが言えたら昨日を乗り越えられた証。今日と同じ気持ちになっても必ずまた乗り越えられる。
53歳 女性 《その他から 患者さんご本人へ》
背景 乳癌でリンパ節転移、手術、化学療法、放射線、ホルモン療法…まだ小学生の娘には苦しむ姿は見せられず、一人で痛み、不安、恐怖と戦ってきた。医者は病気を診ても患者の心は診ない…そんな時出会った医療従事者の彼。副作用に苦しみ、醜くなった自分の姿に嘆き悲しんでいる私にくれた言葉。彼は私の心の主治医。体も心も病むと心の支えは必要です。彼と一緒に生きたい、長く生きたいと強く思う様に。今はおはようが笑顔で言えます
がん治療は、マラソンと同じ。
52歳 女性 《その他から 患者さんご本人へ》
背景 この言葉は、私ががん治療を始めた知人に送った言葉です。私が乳がんになり感じた言葉で、知人が感激したと…。がん治療には多くの人のサポートが必要で、その期間も長い。マラソンの様に苦しい時があっても、沿道で声を送る仲間、スペシャルドリンクを用意してくれる家族、伴走してくれる医療関係者…。いつも応援しているョ!と言う気持を送った言葉です。
私もあきらめない!ずっと一緒だよ!
43歳 男性 《その他から 患者さんのご家族へ》
背景 がんばらなくていい、あきらめないで、のフレーズが心に響きました。一緒にいることの心強さも大切です。
「あぁ、あなた頑張ってこられたのね。」
41歳 女性 《その他から 患者さんご本人へ》
背景 十代で左膝骨肉腫を発症し、右足からの骨移植をした私は、両足に手術の跡があります。近所の温泉に行き、サウナに入っていたところ、五十代くらいの女性の方に「足はどうされたのですか?」と聞かれ説明したところ、この一言が返ってきました。遠方から来られた方で、一期一会の出会いでしたが、その言葉を聞いた瞬間に涙があふれました。忘れられない一言です。
「ガンは、80%以上根性で治すというよ。Aさん、あんた、人一倍根性が強い人だから、必ず乗り越えられるよ。」
73歳 女性 《その他から 患者さんご本人へ》
背景 この言葉に支えられ、転移・再発もなく無事に10年が過ぎました。この言葉を残してくれた同僚は、私より遅れて発病したのに他界してしまいました。結果的に私への遺言になりました。私はそれを信じて10年めの“転移・再発なし”というお医者の診断を戴きました。今後もこの言葉を支えに自分の身体をいたわり、少しでも大切に生きていきたいです。同僚に対するお礼の気持をこめて、書かせていただきました。
まだ最悪な状態になったわけじゃない。
62歳 男性 《その他から 患者さんご本人へ》
背景 直腸がんの手術をして一年後、(その間、放射線治療及び半年間の抗がん剤服用)骨に転移しているのが分かりました。それからです。口には出さないけど胸の内でいつもつぶやいております。何度つぶやいたことか。
いつも通りの君で、頑張らなくていいよ、俺はどんな君でも離さないよ。一緒に乗り越えようね。
45歳 女性 《その他から 患者さんご本人へ》
背景 愛する人から頂いた言葉です。一度目のオペ後、病理検査の結果が悪く再オペが決まった時でした。彼は私を抱きしめ背中をさすりながら言ってくれました。「いつも通りの君で、頑張らなくていいよ、俺はどんな君でも離さないよ。一緒に乗り越えようね。今からのたくさんの痛みや苦しみを軽減はしてあげれないけれど、痛い・苦しい・辛い・・・口に出して何でも言ってごらん。吸い取ってあげるよ。そしてずっとそばにいるよ。傷がどんなに残っても一番綺麗な君を知っているし、傷も一緒に愛してあげれるよ。」何より嬉しかったのは「頑張らなくていい」でした。そして痛みや苦しみに対して「とりあえず」の言葉ではなく自分にはできないができることはするよ・・・と言う(うまく言えませんが)背伸びもせず大きいことも言わない、『心からの言葉』。この言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた力が抜け涙が溢れました。大きな傷を残し今もがんと向き合う私のそばで言葉通り離さないでいてくれています。
弱い、臆病な男が自分の弱さを背負いながら、一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。(遠藤周作)
60歳 女性 《その他から 患者さんご本人へ》
背景 8回の抗がん剤治療は大変厳しいものでした。主治医からは最後まで治療を続けるようお尻をたたかれ、夫からは苦しむ私の態度を「前向きでない」と責められました。治療後半には重い副作用で歩けなくなりながらも、予定通り治療を終えました。その頃読んだ本(「癒しの言葉」)の中で出会ったことばです。誰もほめてくれなかったけど、私にとっては精一杯でした。