網膜色素変性症:病気を受け入れてから見えた将来への希望

幼少期に網膜色素変性症を発症し、自分の将来に不安を覚えた高校時代。今は病気さえもポジティブにとらえようと日々邁進中

Sep 20, 2024

高校生になって一気に押し寄せてきた将来への不安

「高校に入って病気についてインターネットで調べてみて、遺伝性、進行性、治療法なしの病気だと初めて知りました」

西川さんが網膜色素変性症を知ったのは7歳の時。その頃は人より見えにくいみたいだ、といった程度にしか思っていませんでした。網膜色素変性症は、網膜の細胞が徐々に弱っていくことで、周辺視野も含めて、だんだんと見えづらくなっていく視野狭窄が起こる病気です。もう一つ大きな症状としては、薄暗い場所では見えづらくなる夜盲があります。これも網膜が光のセンサーとしての役割を担っているからで、病気ではない方ならば見える明るさでも、網膜色素変性症の方では冬だと4時、5時でも真っ暗に感じてしまう場合があります。西川さんにも薄暗いところで見えづらくなる症状があります。
子どもの頃から、視野が狭いため落ちたペンなどが目視で拾えないことがあったり、人より暗いところは見えにくい病気だという認識はありました。高校生になって自分で調べてみて、初めて重い病気だと認識するようになり、一気に不安が押し寄せてきました。
「病気の重さを全然受け入れられませんでした。自分は友達などの周りの人と一緒だと思いたくて、病気のことはまったく認められなかったですね。親が渡してくれた身体障害者を『俺は違う!』と言って投げ返して、母を泣かせてしまったこともありました」
多感な時期に重い病気と向き合わなければならなかった西川さん。「変な人だと思われたくない」という一心で、高校生のときは自分の病気を隠すことで精一杯でした。気持ちが少し落ち着いてきたのは、大学生になって周りの友人たちがさりげなくサポートをしてくれることに感謝できるようになってからだったと言います。大学に入ってからは、それまで持つのも嫌だった身体障害者手帳も持ち歩けるようになりました。
「一番変わったのは、自分から視覚障害です、弱視なんですと言えるようになったことでした。友人たちのさりげないサポートには本当に助けられました。それでもまだ杖を持ったり、大学の学生支援室に行ったりということはできませんでした」

社会人になってぶつかった壁

「大学を卒業して、新卒で通信会社に入社しました。大学生のときはパソコンを長時間使い続けるということがなかったので、パソコン業務が大きな壁になりました。視覚障害者用の設定があることを知らなかったので、見えづらい中で業務をやっていて、とてもつらかったのを覚えています」
偶然にも同じ会社に同病の方がいて、その方に黒白反転すると見やすいことや、拡大鏡というアプリなどいろいろと教えていただくことで最初の難関は乗り越えることが出来ました。
「就職をして、自分の目の病気のことや、自分がどれだけ見えていないのかということを理解していなかったということに気づきました」
その根底には、高校生のときに変な人に思われたくないと思った気持ちが続いていたのかもしれません。「なんとかなるだろう」と思っていたことは、何ともならず、西川さんは仕事の責任や仕事量が増えるにつれて周りの同期との差を感じ、20代の頃は自己肯定感も低かったそうです。
そんなときに患者会との繋がりを持つことで、将来に希望が持てるようにもなったと言います。自分よりも見えていない人でも明るく楽しく過ごす姿を目の当たりにしたのです。
「一気に価値観が変わりました。だから、自分も頑張るなら今だろうということで、早稲田のMBAスクールに興味本位で一科目だけ取ってみたんです。3ヶ月だけでしたが、思考力や考える力が身についたと感じられました」
その後、西川さんは経営大学院に3年間通うなどの努力を積み重ねていきました。「視覚障害を持っているとなかなか働けないのでは」と思い込んでいたことを自身が研鑽することで自信に変えることができたそうです。その後、仕事の幅を広げたいと転職を目指し、縁あって外資系のIT企業の障害を持つ人向けのインターンを始めました。さらに1年半後は、個人事業主として独立をして現在に至ります。

ポジティブに『自分はできる』と信じられるように

誰にとっても転職や独立は大きな決断です。地道な努力を積み重ねながらも、軽やかな足取りで人生を切り開いていく西川さんに秘訣を伺いました。
「20代の頃は、世の中をすべてネガティブにとらえていたので、そこから抜けられたのが大きかったです。自己肯定感や自己効力感を持つことで『自分はできる』と思えるようになりました。20代半ばまでは『自分はできないやつ』でしたが、だんだんと『できないやつからできるかもしれない』に変わって、『できる可能性があるかもしれない』と思えるようになったのが一番大きかいかもしれません。気持ちが変わったことで、自分がチャレンジしたいことに取り組もうと思えるようになりました」
病気のこともあり、以前は失敗することをとても恐れていたという西川さん。「失敗をしたら自分の評価が下がるのでは」、「周りから変に見られるのでは」、「あいつはダメだと思われたくない」と考えていたそうです。しかし、現在では新しいことにチャレンジすれば、失敗は必ずついてくると考えられるようになったそうです。
「たくさん失敗をしても、少しずつ失敗しないやり方を学べることに気が付きました。失敗さえもポジティブにとらえられるのではないかと、ものの見方がかわりました」
病気があったから、良い経験ができたと思える日もくるのではと西川さんは笑います。そういう気持ちになれたのも、同病の仲間や病気のことを理解してくれる仲間が全国にできたことがきっかけとなりました。仲間の存在が前向きな気持ちへと向かわせてくれます。
また、病気のことが受け入れられず辛い時期も過ごされた経験から、家族との関わりについても、特に両親には前向きに、いろいろな人がいるということを教えてくれる存在であってほしいと言います。「子供からするとやっぱり親にも笑顔でいてほしいし、元気でいてほしいし、何よりも親のせいじゃないよっていうのは言いたいです。」
最後に、一番辛かった高校生のときの自分へのメッセージを教えてもらいました。
「止まない雨はないよ!」