緩和ケアの専門医

 緩和ケアの専門医

 緩和ケアの専門医


緩和ケアと聞いて、何を連想するだろうか。身体の痛みを取り除く治療、緩和ケア病棟などの特別な場所で受けられる治療、終末期に受ける治療――。いずれも、正解であり、間違いだ。

WHOは、緩和ケアを次のように定義している。
生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメントと対処(治療・処置)を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることで、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)を改善するアプローチである――。

つまり、身体の痛み"だけ"を扱うものでもなければ、痛みを"取り除く"というよりも、"和らげ"て生活の質を改善することをめざすものであり、緩和ケア外来や緩和ケア病棟で専門家が行う治療だけではなく、すべての治療の過程において提供されるべき"アプローチ"だ。ゆえに、終末期に限ったことでもない。

「緩和ケアの最初の提供者は、緩和ケアの専門家ではなく、治療医。だから、本来は緩和ケアを受けていない患者さんはいないはずなんです。」と、国立がん研究センター東病院・緩和医療科の木下寛也さんは言う。

治療のなかで患者さんの気持ちを汲み取り対処する、相談に乗り、身体や心の痛みを和らげる、その一つひとつが緩和ケアだ。では、なぜ、木下さんのような緩和ケアの専門医が必要なのかというと、「治療する医師、看護師は、『治療をいかに安全に遂行するか』を優先しなければいけません。ですから、患者さんのつらさや心配、この先どんなつらいことがあるのかといったことにまで、深く対応することは難しい」から。痛みや息苦しさ、吐き気、だるさ、あるいは不安など、患者さんや家族が抱える苦痛にはさまざまなものがあり、その苦痛が大きければ、やはり専門医による専門的なケアが必要だ。

身体が痛めば心も痛む

身体が痛めば心も痛む


木下さんが専門とする「緩和医療科」では、入院治療中の患者さんへの緩和ケアの提供と、緩和医療科外来、緩和ケア病棟での入院治療――という3通りの診療を行っている。緩和医療科外来に通う患者さんのうち、「積極的な治療が望めない人は8割ほどで、残りの2割は抗がん剤治療などを継続している人」。一方、緩和ケア病棟は、抗がん剤治療を行っていないことが基本だが、「最期の看取りの場所」ではなく、「在宅での療養を支えるため」の入院治療の場と言う。
「『緩和ケア病棟に入ったら、もう家には帰れない』と思われる患者さんは多いのですが、いつも、『落ち着いたら帰れますよ』と伝えています」
緩和医療科外来にしても、緩和ケア病棟にしても、"つらいときに頼れる場所"と言えるかもしれない。

いずれの診療も、主治医から緩和医療科を紹介されるケースがほとんどだが、患者さん自身がつらさを訴えて受診する場合もある。なかには、他の病院で抗がん剤治療を受けながら、木下さんのもとに通っている患者さんもいるという。
受診の直接的な原因として多いのは身体的な痛みだが、いざ、話を聞いてみると、他のさまざまな要因が絡み合っていることは多い。たとえば、心の問題が身体に影響を与えることもあれば、逆に、身体の問題が心に影響を与えることも。また、身体的な痛みがあっても、何かで気を紛らわせている間は忘れることができたり、あるいは、痛み止めの薬を処方しなくても、抗がん剤が効いているという実感があれば、痛みも和らいで感じたり…。
心と身体はつながっているだけに、「これは身体の問題」「これは心の問題」と切り分けることはできない。だからこそ、「一番大事にしているのは、全体をみるということ」と、木下さんは話す。

「身体だけではなく、心もみますし、家族の問題や経済的な問題など社会的な面も、『生きる意味』などのスピリチュアルな面もみます。"今"だけではなく、病気の経過のなかでどんな位置にいるのか、ということも考えます。痛みを100%取り除けるとは限りませんが、包括的にみた上で、今の状態でめざすことのできるゴールについて患者さんと一緒に話し合います」

「痛み」と一言でいっても、身体も心も家族のことも経済面もスピリチュアルなことも「全体で捉える」ため、初回の診療は一時間ほどかけて話を聞く。木下さんはいつも「初回全力投球」だ。

身体が痛めば心も痛む

 出典:緩和ケアを知っていますか (発行:公益財団法人 がん研究振興財団)

患者と家族の"通訳"

患者と家族の"通訳"


患者さんから話を聞いた上で、木下さんがめざすのは、「患者さんのつらさを軽減し、希望に添った療養場所を提供できるようにする」こと。そのためには、潜在化している患者さんの真の想いを引き出してあげなければいけない。

言葉にすることが、必ずしもその人の本当の想いとは限らない。たとえば、最初は、「家に戻りたい」とは一言も言っていなかった男性の患者さんが、「よくよく話を聞いてみると、『家に帰りたい』と考えていた場合もありました」。
彼は、状態もあまり良くなく、家で待つ妻のことを思うと、"言えなかった"のだ。

「確かにちょっと大変な状態だったのですが、患者さんと相談をして、『すまないけれど、連れて帰ってくれないか?』ってご家族に一言言ってみましょうよって、話したんです。その患者さんは偉くて、ちゃんと奥さんに伝えたんですね。最初は『連れて帰るのは心配』と思っていた奥さんも、その言葉を聞いて決心して、最期は家で亡くなりました」

家族のことを思うと、本音を言えないという患者さんは少なくない。その一方で、本音を後から知った家族が、「私たちのせいで、我慢させてしまった」と後悔することもある。
「『あのとき言ってくれればよかったのに』という言葉を耳にすることがあります。でも、『あのとき』には戻れないんです。それはお互いにとってつらいもの。医療者だって、つらいんです」

そうしたボタンの掛け違えをなくすために、「患者さんとご家族の"通訳"になることも私たちの役割だと思っています」。

もう一つ、患者さんの本当の想いを引き出すために心がけているのが、できるだけ「正しい情報を伝える」こと。患者さんの選択は、医療者からの情報提供如何で変わるからだ。たとえば、入院中の患者さんに、「入院を続けますか?家に帰りますか?」と聞いて、「入院したい」と言われたとしても、それが本当の選択とは限らない。もしもそれが最後の退院のチャンスと知れば、選ぶ答えは変わるかもしれない。

「正しい情報がないところに、正しい選択はないんです」

受け止める覚悟

受け止める覚悟


木下さんのもともとの専門は、精神科だ。緩和ケアの世界に進んだのは、「たまたま」。精神科医になって、3人目に担当した患者さんが、たまたまがんの患者さんだった。その後も、木下さんの精神科外来にはたまたまがんの患者さんが多かった。そして、たまたま、自身も睾丸腫瘍にかかった。なかでも、直接的な要因となったのは、精神科医として多くのがん患者さんに出会ったことだ。
「『痛がっているのは精神的なものではないか』と、精神科に紹介されてきた患者さんが、ことごとくそうではなかったんです。痛みそのものが和らげば問題は解消される方が殆どでした」
同じようなケースを何度も経験するうちに、「自分で対応しよう」と思うようになり、当時勤めていた病院で、同僚の外科医とともに緩和ケアを始めた。それが、出発点だ。

「精神科でめざしていた医療と緩和ケアは似ている」と木下さんは言う。精神科時代にめざしていたのは「症状をなくすというより、患者さんが社会復帰できるようにする」こと。それは、「つらさを軽減し希望する療養場所で過ごせるようにする」という、緩和ケアでめざすことと同じだ。また、「わかりにくさも似ている」、とも言う。

受け止める覚悟

「精神科医療も緩和ケアもわかりにくいでしょう。緩和ケアについて言えば、身体でも心でもつらいことがあれば、医師でも看護師でもいいので、身近な医療者に相談してほしい」さらに、「技法以上に、関係性が重要」ということも同じと話す。
「精神科治療では、専門的な精神療法の効果は1割程度で、それ以上に関係性が効いていると言われます。それは緩和ケアにおいても同じなんですね。技法よりもコミュニケーションが、しかも言葉そのものよりも、一緒に悩み一緒に考える関係が大事。医療者も悩むということが大事なんだと思うんです」
一緒に悩み考える関係があるからこそ、時には厳しいことも言う。患者さんの本当の想いを探るには、厳しい見通しも伝えなければいけない場面があるからだ。
「患者さんがどんなに取り乱しても、付き合える覚悟があるから、あえて言うんです」

つらい時につらさを受け止め、一緒に悩んでくれる人――。それが、緩和ケア医・木下さんのスタイルだ。

(2013年2月)