あなたの脳の一部を実験室で再現して、その脳の実際の活動を理解することができるとしたらどうでしょう。現実にそのようなことができるのです。ノバルティスバイオメディカル研究所(NIBR)では、新技術を使ってヒトの神経疾患モデルを構築しています。
「私たちは神経変性疾患や神経精神疾患の本質について、すでにいくつもの遺伝的手掛かりを特定し、それを実験室レベルで検証するための新技術を開発しました」
NIBRで神経科学グローバルヘッドを務めるリカルド・ドルメッチ(Ricardo Dolmetsch)はこう述べます。
患者さんの皮膚や血液から採取した細胞を独自のiPS細胞プラットフォームでニューロンに転換し、さらにそれを小さな脳に近似したオルガノイドへと転換します。患者由来の細胞を用いた神経疾患の研究が現実になりつつあるのです。
「例えば、自閉症の小児や、アルツハイマー病の女性のニューロンを実験室で再現して、遺伝子の突然変異がどのように細胞機能を変化させるかを明らかにし、新薬を創出することも可能です」とドルメッチは述べます。従来の非臨床モデルの多くは対症療法薬の開発には有用でしたが、疾患の進行過程を変えるような治療法の開発には有効ではありませんでした。「私たちはさらにヒトに近づけたモデルを開発し、予測精度を高めていきたい」とドルメッチは言います。
DNA解析方法の革新により、特定の遺伝子変異と様々な神経疾患を関連づけることが可能になりました。この情報は、新たな治療標的を探る多くの取り組みの指針となっています。また、NIBRは光遺伝学(光を用いた単一ニューロンの活動の制御)を利用して神経回路を操作する技術も保有しています。この技術を使えば、特定の行動にどの細胞が関与するかを突き止められます。
神経・精神疾患のアンメット・メディカル・ニーズの改善
NIBRが対象とする疾患は、小児では自閉症や難治性てんかん、成人では依存症、双極性障害、うつ病、統合失調症が主な領域です。これらの疾患の進行過程を変え、患者さんの生活を劇的に改善することができる治療薬の開発を目標としています。
神経変性疾患ではアルツハイマー病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、前頭側頭型認知症のほか、いくつかの単一遺伝子による希少疾患を研究しています。多発性硬化症については、再発予防に優れている現在の治療薬に加え、疾患の進行で失われる神経機能の回復を目指した治療法の開発に取り組んでいます。
ドルメッチは「神経疾患・精神疾患におけるアンメット・メディカル・ニーズは非常に大きく、患者さんの生活を改善することは社会的にも意義がある」と述べています。
写真:健康なヒトの皮膚細胞から誘導したiPS細胞から育てた大脳皮質の興奮性ニューロン。緑色に染色されているのは微小管結合タンパク質2(Microtubule-Associated Protein 2 :MAP 2)で、ニューロンを示します。赤色は、グリア線維性酸性タンパク質(Glial Fibrillary Acidic Protein :GFAP)で、放射状グリアと星状膠細胞を示します。青色は4’,6- ジアミジノ-2- フェニルインドール(DAPI)によって染色された細胞核です。