アクロメガリー:自分の顔と闘った35年

脳下垂体にできた良性腫瘍によって容貌が変化する希な病気-先端巨大症とともに歩む

Nov 01, 2017

出版社に勤務する編集者にとって自身が担当する出版物が重版*に至ることは、この上ない名誉です。編集者の山中登志子さんは、90年代後半に自身が執筆・編集担当者としてかかわっていた書籍が売上約200万部のベストセラーになった経験があります。この結果、山中さんは取材する側から取材される側へと立場が一転しました。

しかし取材されても、当時山中さんが写真付きで記事に掲載されることはありませんでした。それどころか高校時代以降、写真を撮られることにトラウマを抱き続け、成人式の写真も残っていません。

「数少ない写真には笑顔がなく、あっても作り笑いみたいな感じ。顔をさらしたくない、顔の評価をされたくない一心でした」

山中さんの顔に対する悩みの原因となっていたのはアクロメガリー(先端巨大症)という病気です。

好奇の目にさらされた思春期

アクロメガリーは、脳下垂体にできた良性の腫瘍の影響で成長ホルモンが過剰に分泌される病気です。その結果、額、顎などの肥大化により容貌が変化したり、手足の肥大化で靴や指輪のサイズが合いにくくなるほか、病気が進行すると糖尿病や高血圧症、脂質異常症などの合併症を併発するリスクが増加します。

16歳でアクロメガリーを発症した山中さんは、当初はそのことに気づかず、ただ単に自分が太ったと思い込んでダイエットに励みました。しかし、22歳の時にたまたま受診した病院で、アクロメガリーとの診断を受け、これまでに4回の手術を経験しています。

高校時代という多感な思春期に始まった容貌の変化をきっかけに、周囲からは「太ったね」の一言に始まり、侮蔑的、冷笑的な態度を受け、時には高校の担任教師からも傷つく言葉を投げかけられたこともあります。それ以来、顔をさらす場面から自分を遠ざけてきたのです。

「病気のことを説明するとしても、ホルモンというキーワードから始まり、非常に説明しづらいことばかり。脳の腫瘍と言えば、周囲が暗い沈黙に包まれてしまう。それなら隠したほうが楽だと長い間思ってきました」

4度の手術を乗り越えて

2回目の手術後は病勢のコントロールが思うようにいかず、1日7回も治療薬を自己注射する日々を送りました。もはや手術は難しいといわれていましたが、諦めきれずに自ら奔走して3回目の手術に挑んでくれる脳神経外科医に巡り合いました。手術前後、医師は自身の執刀の限界も含め率直に話してくれました。山中さんは「誠実に話してもらえたことが嬉しく、なおかつ一緒に頑張るからという医師の言葉にどれだけ救われたかしれません」と振り返ります。

4回目の手術を経て、いまも一部腫瘍は残っているものの、日常生活では合併症の糖尿病の治療のみを継続しています。

山中さんは自らの病状改善をきっかけに、同じ病気を患う他の患者さんの様子が気になるようになりました。巡り合った他のアクロメガリー患者さんとの情報交換をきっかけに、2005年の脳下垂体の異常による下垂体疾患の患者団体「下垂体患者の会」の発足にかかわりました。

山中さん自身、手術のたびに高額な医療費を支払うことの大変さを実感していたこともあり、患者団体ではアクロメガリーなどを公的な医療費助成が受けられる指定難病の対象にすることを当初の活動目標としました。

アクロメガリーであることを告白したことで

ただ、そのためには一般の人たちに、メディアなどを通じてアクロメガリーという病気を知ってもらう必要がありました。そこで山中さんはかつて最も嫌っていた顔を出してメディアに登場することで、アクロメガリーのことを語る道を選びました。

テレビへの出演や、これまでの闘病記録を書籍にまとめて出版しました。さらには嫌な思い出ばかりだった母校の中学・高校でも講演を行いました。

「外見や個性の違いを受け入れる社会ができれば、みんながより楽になると考え始めると、もはや病気であるか否かは関係ないと思うようになりました。顔のことについても自分なりに踏み込めるようになってきました」

母校での講演で、後輩の中学生から「この人の顔は変わっていると、心の中で思うことはいけないことですか?」と問われました。目に見える違いをストレートな言葉で表現することは人を傷つけるものの、同時に病気のことを覆い隠しても問題は解決しない。後輩の率直な問いは、単に腫れ物に触るように接するのではなく、適切な議論ができる環境を周囲が醸成することの重要性を認識させてくれました。

自らが癒す人を目指して

高校時代の山中さんは、学校の教科では特に英語に力を入れました。それは自身を傷つける言葉を発した先生が英語担当だったことが大きな理由です。周囲の心無い言動に傷つけられるたびに、その悔しさをなんとかして自身のエネルギーに変えることで前に進んできたのです。

一方で既に35年におよぶ患者生活の中では、「一緒に頑張ろう」と励ましてくれた医師にも出会いました。だから今ではこう思っています。

「傷つけるのも人ならば、癒やしてくれるのも人」

山中さんは、編集者としての仕事を続けながら、新たな挑戦を始めました。昨年から美容師の国家資格取得を目指して美容学校に通い始めたのです。今は2020年東京オリンピック・パラリンピックの時に美容師として働くという夢を持っています。

「顔のことはやっぱり美容師の仕事、自分の経験があるからこそ顔で悩んでいる人たちに寄り添っていきたいのです」

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アクロメガリー広報センター http://www.acromegaly-center.jp/