「自分の身に何が起こっているのかを知りたい気持ちで受診しました」
3人の娘の母親として、妻として、そして看護師として、家事と仕事に忙しい毎日を送っていた藤田和子さんは、45歳の時に若年性アルツハイマー病の診断を受けました。最初に感じた異変は、記憶の障害ではなく、広い場所で感じる立ちくらみのような違和感や極度の疲労感だったといいます。
「意識しなくても当たり前にできていたことが、普段の倍以上のエネルギーを使わないとできないのです。見たり聞いたりした情報を処理することが上手くできなくなっていたのだと思います。看護師の仕事もなんとかこなしていたのですが、特に忙しくなったわけでもないのに、帰宅すると倒れこむほどの疲労感がありました」
認知症は、アルツハイマー病をはじめ、さまざまな疾患によって引き起こされることが知られています。一般的に高齢者に多いのですが、65歳未満で発症する「若年性認知症」も全国に4万人近くいるといわれています1。看護師をしていた藤田さんは、認知症の方と接する機会があり、また、46歳でアルツハイマー病の診断を受けたオーストラリアのクリスティーン・ブライデン(Christine Brayden)さんの存在を知っていたので、若くても認知症になりうることがわかっていました2。そのため、自分を悩ませている症状は「アルツハイマー病によるものかもしれない」という思いがあったそうです。
診断の1年ほど前から感じ始めた異変は次第に深刻化するとともに、記憶の障害も生じ、不安や混乱を覚えるほどになってきました。自らの意思で受診し、「アルツハイマー病」の診断を告げられたときは、将来への不安の一方で、自分が日々感じていた違和感の正体がわかってホッとする気持ちも大きかったといいます。
「認知症の人」の尊厳が守られる社会を
「認知症の人」という立場に置かれた藤田さんが目にしたのは、認知症の人の「尊厳」がないがしろにされている社会の現状でした。認知症は「なったら人生お終い」「絶対になりたくない病気」と考えられ、メディアで流されるのは、本人の気持ちが無視されたような映像や、「こんな状態だから大変なんですよ」という介護者や家族の声ばかりでした。認知症の本人は「もう何もわからなくなった人」として話を聞いてもらうこともなく、認知症が「介護の問題」としてのみ捉えられていることに疑問を抱くようになりました。
早期に受診して治療を開始することができた藤田さんは、家族や仲間の理解もあり、今まで通りの暮らしを続けていましたが、「社会にある認知症への偏見が、診断への恐れを生み、早期受診や治療の妨げになっているのではないか」と考えるようになったといいます。
認知症に対する偏見をなくすためには、「当事者の思いを社会に発信する必要がある」という藤田さんの考えに共感する仲間たちと、2010年に地元の鳥取で「若年性認知症問題にとりくむ会・クローバー」を立ち上げました。啓発活動を通じて、全国には藤田さんたちと同じように認知症の人の生きづらさを訴える当事者たちがいることを知り、交流が始まりました。
「海外ではすでに認知症の本人たちが『認知症ワーキンググループ』を立ち上げて、政府に政策提言まで行なっていることを知って驚きました」
藤田さんは全国の仲間と「認知症になっても希望と尊厳を持って暮らすことができる社会を作り出す」ことを目的に、2014年に「日本認知症ワーキンググループ」を立ち上げ、その後、2017年には一般社団法人化して「日本認知症本人ワーキンググループ」に発展させ、本人たちが中心となって、目的を同じくし、ともに活動するパートナーたちとともに全国各地で活動を行っています。
日常の暮らし
「現在、夫と下の娘、そして2匹のペットと暮らしています」という藤田さんが、大切な自分の役割と決めているのが「家族のご飯を作ること」です。朝食後には晩ご飯の献立を考え始めます。献立が決まったら材料を用意したり洗ったりして、お昼の後に休憩を挟んで夕方に仕上がるように準備しています。
「最近は少し病状が進んだのか、お昼に仮眠した後、今が昼なのか夜なのかわからなくなるときがあります。料理の最中にも何を作っていたのかわからなくなってテレビを観始めてしまったり、また何かの拍子に思い出したりすることもあります」
病状が進んだことにはがっかりしつつも、「私は料理が得意だから、途中から別の料理になってしまっても結果的に美味しいものが出来上がればそれでいいかなぁ、と思うようにしています」
「できなくなることが増えるのはもちろんショックです。でも、『もう自分にはできなくなってしまったんだ』と落ち込んで自信を失ってしまうと、人と関わることも面倒になってしまって、そこから先に進むことができなくなってしまいます。本人も周囲の人も『もうできなくなった』と思わずに『大丈夫。調子を整えて、明日またやってみよう』と、あきらめずに、助けも借りつつ、ちょっとした工夫を日々、重ねていくことが大切だと思います」と、藤田さんは常にしなやかに前を向いています。
小さな工夫の積み重ね
認知症になってから文字が上手く書けなくなり、藤田さんは日記をつけるのを止めてしまったそうです。「でも、ワーキンググループの代表として、どうしても他の団体に連絡する必要があります。直筆で気持ちを伝えることに挑戦しようと、最近は筆ペンで手紙を書くこともしています」と藤田さん。細かいところが上手く書けなくても、筆ペンだと「なんとなく味のある字になるから」と笑顔を見せます。
「携帯で文章を打って、拡大した文字を見ながら手紙を書くのですが、そこに見えているのにどう書いていいかわからない文字もあります」
そんな時は、娘さんが筆順を示してくれるアプリをインストールしてくれて、それを見ながらだと上手く書くことができるそうです。
認知症になっても希望をもてる社会を
「これまでは認知症になっても将来に希望をもてる情報や出会いがほとんどなかったと思います。私の場合はクリスティーン・ブライデンさんを知っていましたし、認知症とともに希望をもって生きている人たちとの出会いはとても大切だと思います。ただ優しく接する、支える、ということよりも、理解して一緒に伴走してくれる、そして当事者本人が何を不安に思い、どうしてもらえると嬉しいのか、オープンに話し合え、人とのつながりが途切れないような社会ができたらいいなというのが願いです。そのためにも、私たちが前向きに生きている姿をどんどん発信していくことで、それが誰かの勇気になって、一緒に良い社会を作っていく仲間になってくれたらと思っています」