ステファン・ベイカー(Stephen Baker)著
テイラー・パトロンは、家に帰ってらっしゃい!と呼ぶ母親の声を今でも覚えています。外で友達と鬼ごっこをして遊んだ後は、家に帰ってクッションをしきつめた上に横になり、1時間にわたって専門の療法士にタッピング(胸と背中をたたくこと)をしてもらわなければなりませんでした。「肺の粘液を軟らかくするために、強くたたくんです」。 これを年に365日、毎日繰り返す日々を送っていました。
咳をして吐き出すことも出来ましたが、咳をすると頭痛が起こります。テイラーは、頭痛の薬をはじめ、炎症を抑えたり、食べ物を消化し成長するための膵酵素(すいこうそ)を補給したりする薬など、毎日30錠の薬を飲んでいました。
嚢胞性線維症(CF)は、肺感染症やその他の合併症を繰り返し起こす進行性の疾患です。テイラーに加え、弟のザック(Zach)もしばらくしてこの病気であることが判明しました。子どもにとって、CFと闘いながらの生活は楽なものではありませんでしたが、テイラーと家族は、生活を楽しみ、前に進むための努力を惜しみませんでした。彼は、毎日のタッピングや、適切な治療薬の組み合わせの検討、度重なる入退院といった闘病を続けながら、高校のホッケーやラクロスのチームで活躍しました。そしてクラスの上位10%に入る成績を収めて卒業し、生化学と分子生物学の学位を取得するため、アメリカのマサチューセッツ大学に進学しました。
自身が患う嚢胞性線維症(CF)の治療薬の研究をするテイラー・パトロン。CFでは、原因となるタンパク質の遺伝子変異により細胞への塩分・水分の流入が妨げられ、粘液や分泌液の粘度が高まり、体内の肺や消化器官などの臓器の管腔が閉塞し感染し易くなり、多臓器に障害を来たします。目標は、細胞の働きを変える分子を発見し、塩分・水分の流入を促すことです。PJ Kasza撮影
27歳になったテイラーは、CFに対する治療薬を研究するチームの一員として、ノバルティス バイオメディカル研究所(NIBR)で働いています。
早すぎた約束
1989年10月にテイラーが生まれた時、両親のマットとシェリはまだ22歳でした。 テイラーは生まれてすぐに腸閉塞と診断され、マサチューセッツ州のボストン子ども病院に搬送されました。手術の後、医師と看護師のチームは、若い夫婦に良いニュースと悪いニュースを伝えました。悪いニュースは、テイラーが、嚢胞性線維症(CF)という、聞いたことのない病気にかかっているということでした。
医師は、この疾患が、両親がともに持つ遺伝子の変異によるものであると説明しました。この遺伝子の変異により、タンパク質は体液や塩分の細胞への流入と細胞からの流出を制御できなくなります。その結果、テイラーの肺には粘度の高い粘液がこびりつき、危険な細菌やウイルスに感染しやすくなり、また膵臓も影響を受け、消化にも問題が生じます。平均余命は、わずか20年程度1と告げられたのです。
次に伝えられたのは良いニュースでした。ほんの数ヵ月前、研究者たちがこの病気の原因となる変異を伴うCFTR(嚢胞性線維症膜貫通調節因子 cystic fibrosis transmembrane conductance regulator)遺伝子を特定したという知らせです。10年以内にCFは治癒できる病気になるだろう、と医師は言いました。「医師たちは舞い上がっているようでした」。そうテイラーの父親は振り返って語ります。
テイラーの両親は、治癒に望みをかけてそのために計画を立てることはせず、シンプルな戦略を取りました。健康を保つためにできることは全部やり、なるべく普通の生活を送らせること。そのために、支えになってくれる家族や世界の最前線を走るボストンの医療機関の力を十分に活用しました。その一方で、スペースシャトルの発射を見るために子供たちをフロリダに連れて行くなど、できるだけたくさんの経験を子どもたちにさせました。
両親は、テイラーに、ケガすることなく、活動的な生活を送らせたいと考えていました。テイラーは野球や体操にはあまり興味を示しませんでしたが、アイスホッケーには興味を持ちました。7歳でホッケーを始めると、冷たい空気と運動が効を奏したのか、肺の症状がよくなりました。身長は父親や弟より約10センチ低い175センチほどですが、テイラーはスピーディーにパックを追うスケーターでした。
化合物を探索する
テイラーはカレッジに進み、医学部に進学するための準備を始めました。しかし、長い間かけて勉強し、貴重な時間を費やして医師になるのがいいことなのだろうか、と考えはじめました。何故なら、CFの治療は進歩を見せつつも期待されていた治癒には至っておらず、平均寿命はまださほど長くなかったのです。そのため、テイラーは、近道を選び研究者を目指すことにしました。
研究者としての突破口は大学2年生が終わった後に訪れました。テイラーはCFの新たな治療薬の発見に取り組む小規模な非営利のバイオテクノロジー企業を見つけたのです。その会社でのインターンシップに参加し、肺移植時にCF患者から採取した肺組織を培養する方法を学びました。技術者たちは、体液や塩分の細胞への流入が適切なバランスで行われるよう、変異CFTRタンパク質の働きを変えるために肺組織のサンプルに様々な用量の数百種類もの化学物質を投与するという骨の折れる作業を行いました。
テイラーは、このプロジェクトに情熱を注ぎました。「夏休みや冬休みの間など、時間があるときはいつもここで仕事をしました」。
テイラーは、卒業後も引き続きこのバイオテクノロジー企業で働いた後、2015年にノバルティスの呼吸器疾患研究部門に転職し、研究に取り組んでいます。CF患者さんに関係する遺伝子の変異には様々な種類があります。難しいのは、これらの変異のひとつひとつに対処する化合物を開発し、タンパク質の機能を修復させる必要がある点です。
テイラー自身のCFに関しても、CFTRタンパク質の複数変異が伴っており、現時点ではまだ治療選択肢が存在していません。
人生を生きる
テイラーは、特効薬の出現に生きる望みをかけている訳ではありません。最近は、病状に悪化が見られたため、ホッケーのスティックをゴルフクラブに持ち替えましたが、時間があるときはいつも素振りの練習をしています。家族はテイラーが気力を失わず、人とのつながりを保てるよう、ゴルフトーナメントを主催しています。
「今のところゴルフはまだ下手なんですが、上達の余地があるというのはいいですね」と、テイラーは言います。「ホッケー選手はゴルフ好きが多くて有名なんですよ」
テイラーは、1日70錠にものぼるたくさんの薬を飲み、スーパーマーケットのように細菌が多い場所にはなるべく行かず、地下鉄は混雑時を避けて乗るようにし、さらに、飛行機に乗るときには保護マスクを着けるなど、病気をコントロールしながら、できる限り普通の生活を送っています。現在は療法士の代わりに、30分間タッピングしてくれるベストを身に着けています。
望みは今後、研究者たちがーそれは自分自身かもしれませんがー自分のようなCFの患者さんを救う治療法を見つけることです。そして、彼は、両親が作り上げた、「治癒に期待するだけではなく、今の人生を前に進める」という生活スタイルを今も守り続けているのです。