結節性硬化症:デコボコ道を2人3脚で歩む

全身の様々な場所にできる良性腫瘍により多様な症状が現れる難病に親子で立ち向かう

Jan 25, 2018

「僕は手術で助けてもらったから、人を助ける仕事がしたい」

現在、中学1年生の佐藤真翔(まさと)くんはそう語ります。

小学校1年生から始めた柔道は市の大会で3位に入賞。得意の紙粘土細工では微妙な形や色を繊細に使い分けて作る才能の持ち主です。そんな真翔くんのことを母親の陽子さんは「親馬鹿と言われようとも、自慢の息子」と評します。陽子さんがそう思うのは、生まれて間もないころから今まで、ともに苦難を乗り越えてきたことと無縁ではありません。

2004年8月、陽子さんは切迫早産ながらも真翔くんを無事出産しました。妊婦検診中に特に問題は指摘されませんでしたが、出生時の真翔くんは身体のあちこちに白斑(色素が抜けたあざのようなもの)があり、頭髪の一部は白髪。右の鼻の中には小さなイボのようなものがあり、皮膚科医を受診しましたが、当面は経過観察との指示でした。

1歳1か月の時、乳幼児ではよくある突発性発疹に罹りました。罹患から4日目、突如小刻みに手が震え、白目をむいて脱力したように頭からうなだれました。脳神経外科での勤務経験もある看護師だった陽子さんはただならぬものを感じ、救急車を呼びました。救急車内で全身が突っ張るようなけいれんを繰り返し、3度目のけいれんで呼吸が停止。真っ青な顔をした真翔くんの傍らで、酸素濃度低下を告げるアラームがけたたましく鳴り響きました。人工呼吸を続けながら陽子さんが勤務する病院に到着し、そこで一命をとりとめました。

結節性硬化症とは

精密検査の結果、真翔くんは先天性の結節性硬化症と診断されました。年齢に応じて、心臓、皮膚、脳、腎臓、肺など全身の様々な場所にできる良性の腫瘍をはじめとした症状があらわれます。さらに、約8割の患者さんに見られるのがてんかんの発作。搬送するきっかけになった頭をうなだれた症状も、点頭てんかんと呼ばれる、乳児期に発症しやすいタイプの発作でした。一般的に、てんかん発作を繰り返すことが知的障害につながることもあります。一方で、結節性硬化症の場合、てんかんに関係せず精神神経症状(自閉症スペクトラム、ADHD、学習障害など)が現れることも報告されています。年齢によって発現する症状が異なり、またそれらの症状の組み合わせや重症度合いが患者さんによって千差万別であることが、結節性硬化症の特徴です。結節性硬化症を完全に治す治療は今のところありませんが、各症状に対して現在は外科手術による腫瘍切除や塞栓術による腫瘍へのアプローチ、薬物治療で症状をコントロールすることが一般的です。

多彩な症状に悩まされた日々

真翔くんにはてんかん発作が起きる可能性があるため、入園を許可してくれる幼稚園はなかなか見つかりませんでした。ようやく見つかった幼稚園では友達と楽しく過ごし、無事小学校に入学した真翔くんでしたが、2年生の頃から発達障害を疑わせる様子が見え始めました。その年の冬、自転車でバスと接触して頭部を打撲。大事には至りませんでしたが、翌年早春にうけた画像診断で、脳に腫瘍が見つかりました。

真翔くんに見つかったのは上衣下巨細胞性星細胞腫(SEGA)という脳の腫瘍。腫瘍は次第に大きくなり、記憶障害によるものなのか、忘れ物が増えてきました。担任の先生が事情をクラス全員に説明し協力を求めたことで、「真翔、下敷き持った?」、「ちゃんと、筆箱入れた?」、「教科書は?」と皆が協力してくれました。

接触事故から約1年後の3年生の冬、陽子さんが探し当てた埼玉県の病院で特殊な術式も対応してもらえることがわかり、脳の腫瘍の一部を摘出。術後、記憶障害は回復したものの、黒板を頭に打ち付ける、こぶしでモノを叩き壊す、奇声をあげるといった行動が出始めました。もともと大柄で柔道をやっていたため、軽く押しただけでも友達に怪我をさせてしまいました。陽子さんのもとには怪我をした友達の親からの抗議の電話が殺到し、謝罪に明け暮れたといいます。

「『うちの子はわざとやっているわけではないのです。難病のせいなのです』とどんなに説明しても、わかってもらえませんでした。真翔本人にとっては、なぜそうしてしまうのかわからない、そしてやったことの記憶すらないのが一番つらいことでしたが、同時に、この病気の難しさを伝えられない母としての自分がもどかしく、本当につらい経験でした」

結局、自閉症スペクトラムを発症していたのですが、それは結節性硬化症の影響であることが、この病気に精通している医師による診断でわかりました。現在は自閉症スペクトラムの治療のため東京都内の病院に2か月に1回、手術をした埼玉県の病院に年2回、静岡県のてんかん専門病院に年1回、さらに腎血管筋脂肪腫の経過観察のため年1回、地元の神奈川県の病院を受診する日々です。

母親としての戦い

4年生で普通学級から特別支援学級に移籍以降、陽子さんは先生と月1回面談し、様々な要望を学校に伝えると同時に、行政にも働きかけをしてきました。

脳腫瘍の手術後はてんかん発作を起こしやすくなるため、学校で生命にかかわる重積発作を起こした際には、抗てんかん薬の座薬を投入して欲しいと要望しましたが、そこには法的な壁が立ちはだかりました。陽子さんは学校に医療従事者を配置してもらえるよう市の教育委員会や市長に働きかけ、5年生の時から学校への看護師配置を実現してもらいました。

同時に真翔くんの教育方針も「本人のやりたくないことはやらせず、やりたいことをどんどん伸ばす」と明確にしました。昨年春、地元の中学の特別支援学級に進学し、大好きな柔道で1級も取得。今後は初段が目標です。

もっともここまでに至る道は平坦ではありませんでした。精神的に落ち込んだことも一度や二度ではありません。しかし、陽子さんは「親が落ち込んでしまったら意味が無い。前に行かなければ」と自らを奮い立たせて、病気のことも必死に勉強してきました。

「障害はあっても、きちんと挨拶もできる社会に適応した子に育ってくれました。私はそれで十分だと思っています」

真翔くんの名前は「真実に向かって羽ばたく」という意味からつけたもの。陽子さん・真翔くん親子にとって、結節性硬化症とともに生きるという真実の扉は10年を超える闘病を経て、ようやく開かれたのかもしれません。

結節性硬化症のひろば http://www.tsc-info.jp/index.html

TSつばさの会 http://www.ts-tubasa.com/