「チャプレン」という存在

「チャプレン」という存在

 「チャプレン」という存在


「チャプレン」と呼ばれる人びとがいる。 あまり馴染みがない言葉かもしれない。もともとは、「教会ではないところにいる牧師」を指す。クリスチャンは、生まれてから死ぬまで、町の教会に通いながらライフステージを過ごす。一方、学校や病院、軍隊、刑務所など、教会ではない場所にある礼拝堂がチャペルで、そこにいる牧師がチャプレンだ。
学校にしても病院や軍隊、刑務所にしても、自分の生活を振り返ったり、自分のあり方をもう一度見つめ直したりできる落ち着いた空間がより必要となる。

「欧米ではどこにいても宗教的な生活をする権利を保障するために、チャペルがあるのです。」そう話してくれたのは、チャプレンであり、スピリチュアルケア(生きることの意味、目的や価値など魂のケア)について教えている、伊藤高章さんだ。

日本の医療現場でチャプレンという存在がクローズアップされたのには、大きく2つのきっかけがある。一つは、1998年、WHO(世界保健機関)憲章の「健康の定義」に、従来の「肉体的、精神的、社会的にも満たされた状態」という表現に加えて、「ダイナミック」と「スピリチュアル」という言葉を入れることが検討されたこと。このスピリチュアルなケアを提供する人として、チャプレンが認知され始めた。

もう一つのきっかけは、ホスピス運動だった。1990年に上梓され、ベストセラーになった山崎章郎医師の著書『病院で死ぬということ』の後押しもあり、「積極的な治療が功を奏さなくなったときに、できる限り苦痛を取り除き、残りの時間を有意義に過ごすための場を」と、ホスピスを求める声が高まった。 「ホスピスで必要とされるのは、心の平安や家族との時間。そして死とゆっくり向き合うこと。心のケアの担い手には臨床心理士もいますが、近年は医学・科学的なアプローチで問題を「解決する」ことに重きがおかれています。しかし、そうしたアプローチとは別に、死への恐怖や不安、悲嘆など、解決できない問題に直面している方へのケアの担い手が、チャプレンだったのです。」

物語を語ってもらう仕事

物語を語ってもらう仕事


「医療現場におけるチャプレンは、投薬や手術などの治療をするわけでもなく、ソーシャルワーカーのように社会福祉サービスなどにつなぐわけでもありません。ただ、一人の人間として関わり、その方の世界の物語をお聴きする。そして、『こういう想いをお持ちなんですね。そしてこういう決断をされたんですね。確かにうかがいましたよ』と、患者さんご自身が選択するときの"証人"になること、それがチャプレンの役割だと思っています」と、伊藤さんは語る。

物語を語ってもらう仕事

患者さんの話を聴きながら、「どうしてそう考えるのか」理解できないこともある。たとえば「もう生きていてもしょうがない」などという想い。でも、「『そんな風に考えちゃダメですよ』と諭したり、私が代わりに判断することはありません」と、伊藤さんは言う。その代わり、「なぜ、そう思うのですか?」と、質問で返してみる。患者さんは、自分の言葉の意味を語るうちに、自分の実感と言葉とのずれを感じたりする。さらに説明してもらうと、患者さんにとっても伊藤さんにとっても新しい問題への理解が開けることが多いのだという。

「どんな患者さんにもその人の文脈があり、その中で一生懸命生きていらっしゃるのですから、私が外から『右だよ、左だよ』と言っても意味がないのです」

「医療では、診断して病名をつけて、治療をしていくのが基本です。でも、そうした"診断型"の会話では、データにならない情報はこぼれてしまいます。私たちは、物語として患者さんの語りを聴き、味わい、会話をする。そうすると、患者さんは、分析の対象としてではなく「個」として聴いてもらう経験が得られると思うのです。こうした"人文学的"なアプローチを提供する人が、これまでの病院にはいなかったのです」

求められるのは「個性的な」傾聴

求められるのは「個性的な」傾聴


そもそもなぜ、伊藤さんはチャプレンになったのか。答えは、「牧師を育てる過程に興味を持ったから」とのこと。「自分自身が牧師になるつもりは、まったくありませんでした」と笑う。

両親はクリスチャンだったが、二十歳になるまで自ら教会に行ったことはなかった。進学したのがキリスト教系の大学だったこともあり、大学生のときに初めて自ら教会に足を踏み入れた。

「教会に行ったら、両親の結婚式をした牧師さんがまだいらっしゃって、『息子です』と名乗ると、『お帰り』と言ってくれたんです。それを機に、面白いところだな、と教会にかかわるようになりました」
そうは言っても、当時専攻していたのはイギリス経済史。大学院に進みイギリスに留学もして、帰国後、大学で教員として働いていたところ、所属教派から「アメリカの神学校に行かないか」との誘いがあった。牧師になるつもりはなかった伊藤さんは、「牧師にはなりませんが、牧師の教育課程には興味があります」と言って、アメリカの神学校に通うことになった。

「神学校では、1年目の夏に病院実習があります。『大変な状況にいる人たちと、どうかかわるのか』というトレーニングを受けなければ宗教家にはなれないというのが、アメリカのルール。神学生の間では病院で行われるこの実習が一番つらいと言われているのですが、私にとっては興味深いものでした。」

求められるのは「個性的な」傾聴

実は、伊藤さんは大学院時代から10年ほど、「いのちの電話」の相談員をしていた。そのトレーニングと、病院でのトレーニングは同じ教育理念のプログラムだった。 「人は、自分の話を"個"として聴いてもらっていると思えると、次の一歩に踏み出すことができるのです。トレーニングでは、分析する対象として相手の話を聴くのではなく、『私という個人が、その方との関わりの中で、どう話を聴くのか』をとことん鍛えられます。よく『積極的な傾聴』と言われますが、求められるのは『個性的な傾聴』。自分自身の感性を磨いて相手と向き合うトレーニングに、すっかり魅せられました」 結果、通常は3年間の神学校卒業後に1年かけて1600時間の病院実習を行いチャプレンの資格を取るところを、神学校在学中に規定の実習を済ませ、卒業時にはチャプレン任用の基礎資格も得た。

大切なのは患者さんの選択を支えること

大切なのは患者さんの選択を支えること


「日本の病院でもスピリチュアルケアを提供したい」と帰国。現在は大学をはじめさまざまな組織で教えたり、スピリチュアルケアの専門職を養成する活動を続けている。

日本でスピリチュアルケアに関心が高まったのは、ホスピスなど終末期の心のケアがきっかけだったが、伊藤さんは「急性期の医療現場でも必要性を感じています」と話す。
「インフォームドコンセントという言葉は、『説明と同意』と訳されがちですが、本来は説明を受けた上で同意することです。つまり、主語は患者さん。説明されたことを理解し自分の人生に照らし合わせて考え、納得し、消化し、それからでなければ同意はできません。診断され、説明を受けてから、自分の価値観や家族との関係、生活の現状などさまざまなことを考えて自己決定しなければならない患者さんには、その決断に寄り添うスピリチュアルケアが重要だと思うのです」

日本でも、少数のキリスト教系の病院にはチャプレンがいる。現在、スピリチュアルケアを提供する施設も少しずつ増えている。

大切なのは患者さんの選択を支えること

「チャプレンなど、スピリチュアルなケアを担う存在が、特にがん診療連携拠点病院にかならず一人はいることが当たり前になればいいですね。もっと言えば、病院に雇用されている立場では病院側に立った物の言い方しかできないこともあるので、より中立的な立場でいられればと思います。たとえばアメリカでは、地域住民が財団をつくって病院に一人分の給料を寄付し、チャプレンを置いているケースがあります。日本でも、自分たちに必要なケアや必要な職種を、患者さんたちが主体的に持ち込むという動きが出れば、と期待しています」

医療という客観的なデータを重視する場で、データからはこぼれ落ちる患者さんの物語を聴き、患者さんが行った選択・決断の"証人"になるチャプレン。自分が悩み、迷い、選択することを見ていてくれる人がいる―そう思えることで、「患者」としてではなく、一人の人間として歩むことができるのではないか。

(2014年5月)